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RECOMMEND
人を動かす 新装版
人を動かす 新装版 (JUGEMレビュー »)
デール カーネギー,Dale Carnegie,山口 博
子供の時から目立ちたがりやで、
人の気持ちを慮る力の無かった僕が、
本当にいままで、一体どれだけの
人や物を失い、多くの機会を
失ってきたのだろうと読了後に
大変なショックを受けました。

過去を後悔するのは嫌いです。
でも、その分だけ成長出来た
のだと思います。
だから、この本に出会えて
よかったと思います。

これからも、何度も読み直して、
日々の行動で実践できるように
心がけていきたいと思います。

RECOMMEND
パートナーシップ・マネジメント
パートナーシップ・マネジメント (JUGEMレビュー »)
橋口 寛
Trust Based Partnership
それは、共通の価値観を有すること。
言葉では表現しきれない、時には言葉が不要ですらある感覚。

著者は見事に書ききっています。

想い・価値観を共有(シェア)した人と人は強い。
(本文中ではその結びつきを紐帯と表現されていす。)

他人は他人でなく、全てが自己そのものとなる。
例えば5名のパートナーと一緒に仕事をするということは、
5名の鏡に映る自分自身とともに仕事をするということと同じなのだと
この本で気づきました。

信頼関係に基づいたパートナーシップによってもたらされる本当に楽しく、
わくわくして、いきいきと毎日を過ごす毎日、
そんな未来が目に浮かぶようです。

素晴らしい本ですのでぜひ一人でも多くの人に読んで頂き、
著者の想いを感じてもらいたいです。
RECOMMEND
道具としてのファイナンス
道具としてのファイナンス (JUGEMレビュー »)
石野 雄一
石野さんが日産自動車で
カルロス・ゴーン氏の下で日産リバイバルプランを
財務戦略の面から支え、
その経験も多くかかれています。
どんな言葉も、それがその人独自の
体験や経験の元にかかれたものでないと、
そこに心を揺さぶるものや、記憶に残るものは
無いのだと思います。

この本は、まさにわれわれが体験し得ない経験を
元にかかれています。

必ず、価格に対して破格の価値の
ある本だと思います。
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の繰り返しの記録
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花ぐもさん
ラグビーのように働こうを合言葉に、敬意と感謝とチャレンジに満ち溢れた組織にするべくスマイルワークスさん講習をお願いしています。

講習を終えた、スマイルワークスのムラタぐ社長を迎えて、京都の夜へ繰り出す。

研究所の中堅リーダーから管理職直前の方への講習も相当もりあがったようです。
いやぁ、いつもすごい魂の学びを伝えてくださり本当に心から感謝です。

もともと嶋原の輪違屋へ向かうつもりが、お休みということですので、昔輪違屋さんにおられた元花ぐも太夫がやっているお茶屋花ぐもへ。

元花ぐも太夫さんやその夫であり、写真家であり、祇園で10年以上遊んでおられる?ピーターさんを交えて楽しいひと時でした。

店に満ちる凛とした雰囲気。

美しい着物の着こなしとその所作。

日本の精神だ。


花ぐもの対面には、池波正太郎が愛したおでん蛸長がありますが、水曜日は残念ながら定休日。
ムラタぐ社長と一緒に創業100年を超えるおでんを食べたかったどす。


ムラタぐ社長がどうも様子がおかしい。

なるほど、お腹が相当減っていることに気づき宮川町から祇園へ移動し、修学旅行生の定番?壹錢洋食へ。

短い時間でしたが、楽しいひと時でした。
次回は、もっともっとディープスポットに行きましょう!
| 京都 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
金福寺 〜村上たか女〜
京都の街が少しづつ色づきはじめている。
今月の三連休あたりからピークだろうか。

紅葉といえば、いくつもよいところがある。
定番中の定番の嵐山の天龍寺と常寂光寺。
また、清水寺、南禅寺、金閣寺、銀閣寺、東福寺などもよい。
離れている西山は穴場で善峰寺、光明寺も捨てがたい。

石川丈山が作り上げた見事な庭で有名な詩仙堂は文句無しに素晴らしい。
しかし、いかんせん観光客が多い。

詩仙堂の周囲には、宮本武蔵と吉岡一門との決闘の場である一乗寺下り松もあるし、少し足を伸ばせば曼殊院、修学院離宮、赤山禅院と名所が目白押しである。

しかし、観光客でごった返すこの時期には金福寺という選択肢はいかがだろうか。

金福寺

ここは、芭蕉庵があり後年芭蕉を慕った与謝蕪村が何度もたずね、荒廃からの再建に尽力し、最後にはお墓までここに定めます。

芭蕉庵

枯山水の庭と瓜生山を借景とした芭蕉庵は、非常に静かで美しく心が澄み渡ります。

枯山水の庭から臨む芭蕉庵

ここ金福寺は、もう一つ。
私の母校がある彦根藩にまつわるエピソードがあります。

それは、村上たか女です。
たか女は、幕末の大老・井伊直弼の愛人であった人で、舟橋聖一の歴史小説「花の生涯」の主人公でもあります。
NHKの大河ドラマの第一回(1963(昭和38)年)をかざっています。

村上たかは若き井伊直弼に出会い恋に落ちます。
井伊直弼は数奇な運命で予期せぬ彦根藩主となり、たかは捨てられます。

直弼は「かの婦人はどうしているか。心得の良くない彼女のことが世間に知れたらと後悔するばかり。自分の汚名になってしまう」とまでかいた書が残っています。

しかし、たかは直弼のブレーンである長野主膳に保護され、直弼サイドのスパイとしてかつて芸妓として過ごした京都で暗躍することになります。

たかが主膳に送った摘発の手紙が何通も残っています。

志士達は激怒し、洛西の隠れ家に身を潜めていたたか女は、30人もの長州、土佐両藩の志士に急襲され、捕らえられます。

「この女、長野主膳妾にして、主膳奸計を助けたる者。女子の身なれば死罪一等を減ず」

という罪状とともに、三条大橋の橋柱に縛りつけられ凍りつくような寒さの中、三日三晩の生き晒しの刑に処せられる。

村上たか女

たか女が何とか逃した息子・帯刀も、尊皇攘夷派におびき出されて斬首されます。

三条大橋から助け出され1人生き残ったたか女は、刑を解かれたのちに金福寺に入り、1876(明治9)年に67歳で亡くなるまでの14年間を、尼僧としてここですごします。

紅葉

紅葉でごった返すこれからの時期の京都で、ここで芭蕉のエピソード、そして芭蕉を敬愛した蕪村のエピソードと共に、村上たかにも想いを馳せつつお庭を愉しむのも・・・
あると思います。

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●住所     京都市左京区一乗寺才形町20
●電話番号 075-791-1666
●アクセス 叡山電車 一乗寺下車 徒歩約20〜30分
●拝観時間 9:00〜17:00
●拝観料 300円
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花の生涯 上 新装版 (1) (祥伝社文庫 ふ 2-6)
花の生涯 上 新装版 (1) (祥伝社文庫 ふ 2-6)
舟橋 聖一

花の生涯 下 新装版 (3) (祥伝社文庫 ふ 2-7)
花の生涯 下 新装版 (3) (祥伝社文庫 ふ 2-7)
舟橋 聖一





| 京都 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
酬恩庵  〜当代一流のサロン
酬恩庵(しゅうおんあん)というお寺があります。

この酬恩庵は、今となってはそれほど熱い視線を浴びているわけではないですが、応仁の乱の後はサロンとして民衆を含め非常に注目されていました。

そのヒントは一休寺という別名にあります。


応仁の乱で衰退した寺を復興さた一休宗純がそのサロンの中心にいました。
茶道の村田珠光や能の金春禅竹、連歌師の飯尾宗祇など現在に至るまで大きな影響を与えた芸能者が彼の元に集います。
そして、金春禅竹は酬恩庵総門の前で一休のために能を演じたといいます。


一休宗純は、禅僧でありながらとんでもない人生を過ごしました。
早くから詩才に優れ、13歳の時に作った漢詩「長門春草」、15歳の時に作った漢詩「春衣宿花」は洛中の評判となり賞賛を浴びたと言われています。
そんな一休宗純ですが、悟りを拓いた後は詩・狂歌・書画と風狂の生活を送ることになります。

そもそも、一休は後小松天皇の落胤ともいわれ、天皇家とは非常に近しい距離におり、民衆からも非常に信頼を勝ち得ていたといいます。(そのため、この一休宗純のお墓は宮内庁が管理している。)

そんな彼はその奇行が有名です。

僧でありながら、肉食・飲酒だけでなく、女性とも男性とも交わり、なんと80歳を超えて、盲目も森女(しんにょ)という女性に恋に落ち側女としています。
また、親交のあった本願寺門主蓮如の留守中に居室に上がりこみ、蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をしています。(ただし、その時に帰宅した蓮如上人は『俺の商売道具に何をする』と言って、ふたりで大笑いしたとあります。)

禅僧である一休がなぜこのような行動をとったかというところは非常に興味深いです。
そして、一休宗純がなぜ当代一流の名士を集められたのか。

一休宗純の意識世界から離脱し、有心→無心をへて執心へと遊ぶ姿こそに皆の心の深層を捉えるものがあったのではないか。


京都市内は紅葉の季節は非常に混雑しますが、酬恩庵はひっそりとしていて美しい紅葉を誇っています。

方丈庭園も非常に落ち着きます。
ここで一休宗純の心について、そしてありし日に名士が集っていたサロンに想いを馳せるのもよいと思います。

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●住所     京都府京田辺市薪里ノ内102
●電話番号 0774-62-0193
●アクセス 近鉄「新田辺」駅から1.5km
      JR「京田辺」駅から1km
●拝観時間  9:00〜17:00
ただし宝物殿は、 9:30〜16:30
●入山料 500円
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| 京都 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
大石良雄の愛した庭と茶室
紅葉の季節が近いので京都の穴場の紹介でも。

空海がひらいたという真言宗泉涌寺派総本山泉涌寺の塔頭のひとつ来迎院。
独鈷を用いて掘ったという独鈷水が清らかに湧き出しています。

独鈷水

戦火で何度か荒廃していますが、織田信長より50石を受け、また、前田利家が諸堂の再建を行い、徳川家も別朱印と100石あまりを与え、経済的にも復興を果たします。
朝廷においては、安産の勅願所として信仰を集めることになります。


ここには、美しい林泉があり、大石良雄(通称:内藏助)は名水「独鈷水」があるのを喜んで書院と茶席含翆軒をここに設けます。

含翆軒


なぜ、大石良雄がここに茶席を設けたのか。


松の廊下の刃傷による御家断絶後、赤穂を退いた播磨国赤穂藩筆頭家老大石良雄(通称:内藏助)は京都山科に隠居します。

含翆軒

当時は身元保証がないと転居できない法があり、大石家の叔父進藤源四郎の一族進藤長之(近衛家家臣)が管理していた土地であり、身元引受人となったことによります。

含翆軒

大石良雄は、吉良派の目を隠すべく、京都は島原など廓などでの放蕩を激しくしますが、山科から5kmほど歩き、峠を越えてちょうど来迎院があります。

ここは、決して洗練された庭ではないですが、時間の流れがゆったりとした心安らぐ場所です。

含翆軒

放蕩をつくしながら、裏では急進派と穏健派に2分した旧赤穂藩士のバランスを大石良雄は巧みにとり、京阪にいる元赤穂藩の同士と密議はここ来迎院にて行ったと伝えられています。

含翆軒

ここで、大石良雄は何を思ったのか。

素朴な庭であり、訪れる人も少ない穴場です。
紅葉の季節は非常に美しい景色となります。

大石良雄の気持ちを忖度しながら、お茶を愉しむことができます。

深山幽谷な雰囲気の京都もぜひどうぞご堪能ください。

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●住所     京都市東山区泉涌寺山内町33
●電話番号 075-561-8813
●アクセス 市バス「泉涌寺道」下車徒歩10分
●拝観時間 9:00〜17:00
●拝観料 300円(書院でのお抹茶400円)
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| 京都 | 23:59 | comments(2) | trackbacks(0) |
宇治神社 今様・白拍子  源氏物語千年記念奉納
今年は源氏物語千年紀ということで、宇治十帖の舞台である宇治で今様奉納が日本今様謌舞楽会の方々により執り行われました。

宇治神社への参道

宇治神社は、菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)・応神天皇・仁徳天皇を祀っており、本殿は1060年ごろのものとされ、現存最古の神社建築であることが裏付けられるとともに、1052年創建の平等院との深い関連性があるといわれています。

宇治神社

私は歌人として参加してきました。

舞台

この舞台の障子を取り外して執り行われました。

最初の舞の後、今回の歌合のお題が「舟」と発表されます。

宇治川にかかる宇治橋

その後、左方、右方の歌人(私は右方)に色紙が渡されますので、歌をしたため、書かれた色紙の歌に対して評価がなされます。

私の詠んだ歌は、

流れ移ろふ宇治川の
水面おす櫓はうつろ舟
こぼてる枯野 塩に焼き
琴掻き弾けば霧晴るる


です。
うつろは「打つ櫓」と「うつろう」という意味をかけています。
壊れた「枯野」という舟を塩で焼いて、その木から琴をつくって奏でると、宇治川にかかった霧が晴れる(きりはら(桐原)水という水が宇治神社では湧き出ている)という歌です。

枯野のエピソードは宇治神社に関係しています。
祀られている菟道稚郎子命は、天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられたものの、異母兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、後の仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという話で有名です。

その仁徳天皇の時代のエピソードとして、古事記・日本書紀で次のような話が取り上げられています。

河内の国のある所に一本の木が立っていました。
その木は朝日に当たると影が淡路島に及び、夕日を浴びると高安山を超える程の大きさでした。この大木を使って船を造り、朝夕難波の海を渡り淡路島の泉へ天皇の飲み水を汲みに行かせて、仁徳天皇に献上されていました。
その舟足の速いこと。この船は名を「枯野」と名づけられました。
やがてこの舟が壊れた(=こぼれた)時、塩焼きの神事で船体を焼き、焼け残った木で琴を作りました。
その琴の音は七里に響き渡り、海中の岩に生えるなづの木が波に揺れる時のように大きな美しい音色で鳴り響いたといわれています。


そんな万葉の世界に想いを馳せて作ったのですが、残念ながら左方の歌が素晴らしくて軍配は左方に上がりました。

歌のよかった左方の歌を見て、舞手が即興で舞を披露します。

その後、今回の宇治十帖にちなんだ舞が奉納されます。
1時間程度でしたが、本当に風が気持ちよく、今様の美しい動きと調べを感じることができました。

しかし、たった七五調の48字に想いを乗せて歌うことを考えることは、言葉というものを改めて考えるきっかけとなりました。
歌に俄然興味がわいてきました!

誘ってくださった濱崎さん、そして日本今様謌舞楽会の皆さん、どうもありがとうございます。
実際に平安衣装に身を包み、体験するということは非常に大きな学びとなりました。
そして見に来てくださった皆さんにも感謝です。

PS.
ぎりぎりまで練習されている風景です。
練習中

PS2.
平安衣装に身を包んだ姿です。。。
恥ずかしいので小さめに。
歌人
| 京都 | 23:59 | comments(3) | trackbacks(0) |
遊行の人々
平安時代の末期、西行は北面の武士という名誉ある仕事も家族も捨て、数寄の遁世を実施し歌枕をめぐるべく旅にでました。

当時は、旅とは文字通り命がけのものであり、桃太郎の流れてくる桃に象徴されうように、他の土地から来た人々の話、そして血縁は重要な物語となります。

そんな当時、日本には諸国を巡り歩く遊行の民がいました。
僧侶や白拍子・傀儡子・琵琶法師といった芸能者たちです。

彼らは土地と土地を情報でつなぐインフラでもあったのです。
それに着目した当時の貴族や武家は、彼らを重用します。


源義経は白拍子の静御前に、後白河法皇は遊女の歌う「今様」にのめりこみ、梁塵秘抄という歌集まで作ります。

その中には


遊びをせんとや生まれけん、戯れせんとや生れけん


といった、当時の無常観を遊びに変える文脈が語られています。

遊び=すさび(スサノオに由来)であり、必死に生きた当時の遊行の人々の数奇が伺われます。
網野善彦はそんな忘れ去られた遊行の人々にスポットライトをあてました。

当時の今様とそれにあわせた白拍子の奉納が宇治神社であります。
歌人として平安衣装に身を通し七五調で4句吟じます。

当時の遊行の人々の息遣いを感じてきます。
| 京都 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
マレーシアで奮闘する友人
同期の優秀な経理マンである友人がマレーシアの工場に赴任して経営改革に参画して半年たちます。
彼がマレーシアの休暇を利用して帰国していたので一緒に食事に行く。

工場として設立しはや35年たちますが、

1.中国・ベトナムとどのように異なるポジショニングを確立するか
2.雇用機会不平等なマレー人優遇政策であるブミプトラ政策による非流動性
3.日本のマザー工場とのコミュニケーションの壁が生み出す歪んだ構造

といった普遍的な問題だけでなく独自の問題を含め本当に多くの課題を抱え向き合っています。

リアルな体験を自分の言葉で語るという迫力に勝るものはない。
彼は本当にいい経験をしているなぁと思います。

お互いのポジションで企業の意識の改革(精神の地球連邦化)という、本質的な意味でのグローバル化を達成していかないといけないと感じました。

いい刺激をどうもありがとう!

PS.
行ったお店は、またまた千絵さんブログから京割烹御幸町つばきにしました。

味覚の秋であり、繊細な数々の料理。
大満足でした^^

先附

向

椀

和え物

焼

お凌ぎ

焚

■住所
京都市中京区御幸町三条上ル丸屋町318-3
■TEL
075-211-3938
■営業時間
 昼 12時〜13時30分(L.O.)
 夜 18時〜21時(L.O.)
■定休日
火曜(祝日の場合は翌日休)
| 京都 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
第三回三壷庵茶会と日本料理じき 宮ざわさん
伝統文化プロデュース連のお茶会「第三回三壷庵茶会」に参加してきました。

京都博物館内の茶室「堪庵」にてお茶をいただく。

堪庵

初めてのお茶でしたので、右も左も分からなかったのですが、大寄せ茶会ということで温かいサポートがあり非常に楽しめました。

源氏物語1000年紀にちなんだ老松さんの和菓子
3本の秋草がそよいでおり、「一日三秋」という人を待ち焦がれる気持ちを表し、また紫の上にちなみ、紫色が忍ばせてあります。

また、茶道具として源氏物語の牛車をもしたものが使われています。

掛け軸には、吉田兼好。
お茶会に飾ることはまずないと言われる太田さんの私物。

この茶室の裏手には豊臣秀吉と北の政所(ねね)を奉った豊国神社があります。
吉田兼好の先祖は、卜部氏であり、平安時代以降朝廷で神祇を司った家柄です。京都の吉田神社・平野神社の神主・神官の家柄となり、江戸時代には豊国神社の神主の家にもなっているため、それにかけて今回は吉田兼好の歌にしたとのこと。

お茶をいただいたのは8畳の書院座敷ですが、置くの3畳の茶室(ここが堪庵)には、韓国映画監督の書を掛けたとのこと。

堪庵

お茶には、気づかない多くのもてなしが潜んでいる。
贈与のオンパレード。
これを汲み取れるものは汲み取り、次に会うときにはまた相手を思って多くのもてなしを仕込む。
この贈与のお互いを高みへと誘う芸事のスパイラル。

本来は、懐石を食べて、宴会を楽しみそこからお茶をたてるのがよいとのこと。

お茶は宇宙とつながるという。

きちっと研ぎ澄まされた宴会が茶道、それを本能的なもの宴会と組み合わせればよい。

まだまだ分からないことが多いですが、和菓子もお茶も美味しかったです。
また参加して、少しづつ学びたいと思う。

そもそも和服を着たい。


茶の本―英文収録 (講談社学術文庫)
茶の本―英文収録 (講談社学術文庫)
岡倉 天心


その後、昼食は、千絵さんのブログを参考にして、京都堺町じき 宮ざわさんへ。


じき 宮ざわさん

彩り豊かで繊細な味。

じき 宮ざわさん

秋刀魚のつくねのお椀。
非常に美味しい。

刺身

刺身は千絵さんブログにあるように一晩寝かせて旨味が増しています。

胡麻豆腐

名物胡麻豆腐。
香ばしい。。

御飯

御飯は奈良の生駒産のお米で、むちゃくちゃ美味しい。
何度もお代わりし、お漬物もお代わり。

非常に充実した一日でした^^

京都堺町日本料理 じき 宮ざわ
京都市中京区堺町四条上ル東側八百屋町533-1
TEL:075-213-1326
12:00−(最終入店13:30) 17:30−(最終入店20:00) 木休

PS.
ご一緒したのは東京からBREEZE BREEZEの立ち上げのために関西にこられたNさん。
BREEZE BREEZEは、西梅田にできる新しい商業施設。10月3日にOPENであり、最近は休みもなく非常に多忙とのこと。
(ファッションやジュエリーなどのショップが43店舗、レストランが17店舗入る予定。日本初出店・大阪初出店がなんと30店舗。特にお奨めはニューヨークで人気のコスメブランド「MALIN+GOETZ(マリン&ゴッツ)」だそうです)
| 京都 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
京都 島原 輪違屋さん
京都島原はかつて興隆を極めた日本で一番古い廓です。
そこで、現在もたった一軒営業を続ける茶屋が輪違屋さんです。

輪違屋さん

天正17年(1589年)に島原が遊郭として官許され、輪違屋さんの初代創業が元禄年間(1688〜1704年)。
安政3年(1856年)の火事で一度焼け、翌年再建されて以来、輪違屋さんは、300年の歴史を今につたえ、あらゆる芸を極め・教養が高く・容姿抜群という全てにおいて最上位の妓女である太夫を今も4名抱え綿々と歴史を今に伝えています。

輪違屋さん

浅田次郎が輪違屋糸里を描いたのはまさにここが舞台です。

今回、老松の太田さんや伝統文化プロデュース連代表の濱崎さんと一緒に連れて行っていただきました。
老松社長の太田さんですら40歳までは足を踏み入れることが叶わなかったという場所。

昔は、太夫も皆ここで住み込んでいた置屋であったといいます。
有名な「傘の間」と「紅葉の間」を見せていただく。

「傘の間」には、本物の道中傘が襖に貼り付けてあります。
蝋燭で遊ぶと立体的な陰影が楽しめます。
「高」の文字はここの当主が高橋家であることを示しています。

傘の間

床の間にある掛け軸は桂小五郎の書。

傘の間にて、伝統を伝えつつ新たな世界へのチャレンジを誓う。
傘の間


「紅葉の間」は、本物の葉を使って壁に型をつけ、彩色したもの。
蝋燭で遊べば色とりどりの紅葉が浮かび上がるとのこと。

紅葉の間

宴会が行われていたので見れなかったのですが、1階には、近藤勇の書による屏風もあるそうです。


日々稽古に勤め、最高に芸を高め続ける太夫。
今回は、幸運なことに隣の座敷に如月太夫さんがお見えになる。
非常に動きが美しい。胡弓など非常に高い芸と話術をお持ちとのこと。


昔、太夫は正5位であり(10万石の大名と同位)殿上にあがり天皇に謁見できる身分でした。
太夫の使う傘や籠は正5位のお殿様と同じものであり、まとう衣裳も同様。
100年前に実際に太夫が着ていた打掛が飾られていました。

打掛

太夫は花魁とは異なります。吉原は江戸時代からの遊郭であり、島原を真似することとなります。
参勤交代時に大名が吉原で遊ぶさいに岡場所の女郎では具合が悪いので島原にならって花魁という位をつくりました。

島原では「舞い」ですが、吉原は「踊り」。
島原の太夫の歩き方は「内八文字」ですが、吉原は「外八文字」。
島原の大門の「出口の柳」は、吉原では「見返り柳」。

島原は多いときは、お茶屋さんだけで100軒以上あり、遊女屋さん、女郎屋さん、料理屋さんなど廓関係以外のお店はなく、一日中遊べたといいますが現在では、島原の大門や角屋さん(現在は文化美術館に)を除いて住宅街になっています。

輪違屋さん

輪違屋10代目当主にバーにてお話を伺う。
マシンガンのような語りでこの世からどんどん逸脱される。
さすがに、芸を鍛えられているので、動きも滑らか。

あっという間に時間が過ぎ去る。
ここで交わした話もすべて、積み上げてきた歴史や鍛錬の日々、多くの人の澱のように溜まった感情からするとほんの少しのことでしかない。

歴史に名を馳せた多くの偉人が体験し、現在の著名人もかよう輪違屋さん。
現在の当主の高橋さんがいる間だけがこの空気を体感できる時間となります。

輪違屋さん



PS.
10代目高橋利樹さんの著。
途中で太田さんのエピソードも出てきます^^
京の花街「輪違屋」物語 (PHP新書 477)
京の花街「輪違屋」物語 (PHP新書 477)
高橋 利樹

PS2.
浅田次郎氏も6年ほど輪違屋さんに通い、書き上げた本。
昨年はドラマにもなったそうです。
輪違屋糸里 上
輪違屋糸里 上
浅田 次郎

輪違屋糸里 下
輪違屋糸里 下
浅田 次郎

PS3.
当主に伺った話は、スケールが歴史を跳躍しており、人間の存在をも跳躍しておりました。その軽やかさと島原という場の与えるなんと不可思議な空間。

PS4.
本日無事、京都起業家学校を卒業できました。
採取発表では、弊社の元副社長もお見えになり、俄然緊張しました。
紆余曲折がありましたが無事終えることができました。
このメンバーでいろいろ新しいチャレンジがしたいです。

| 京都 | 23:59 | comments(2) | trackbacks(0) |
京都霊山護国神社にて
京都霊山護国神社へ皆で向かう。

明治元年である1868年5月10日に明治天皇から維新を目前にして倒れた志士たちの御霊を奉祀するために建立された日本初の招魂社であり、靖国神社よりも古い。
坂本龍馬や中岡慎太郎の墓が有名です。

京都霊山護国神社

神社にて、木戸さんをはじめ、鈴木寛氏などと共に玉串奉奠させていただく。
その後、宮司さんと木戸孝允、松子夫人のお墓へ。

木戸孝允の墓

両名は維新で倒れたわけではないが、遺言で皆と一緒に眠りたいとのことで、この霊山の最も高いところに二人のお墓があります。

皆で手を合わせる。

彼らの成し遂げた途方もない世の中の回天に対して心から感謝を伝え、そして今後の自分たちが行う新しい世界に向けたチャレンジを宣言する。

池田屋事件で散った吉田稔麿らの墓や
蛤御門の変で散った来島又兵衛、久坂玄瑞、寺島忠三郎らの墓もある。

彼らのような情熱を持ち時代を飛び越えるような行動ができるだろうか。

自問しつつ下山する。

素晴らしい気づきと魂が燃え上がる2日間でした。
ドッキーさん、皆様どうもありがとうございました。



| 京都 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |